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時代が変化して逝く…教育の在り方。

結局は自己責任力を養うしかないのかも知らん。

                    2017年12月10日

世界的に教育環境が整備されている環境下では受ける側の個人レベルでの責任に委ねられるのですよ。(#゚д゚) 、ペッ

昨日先週に録画した[ Abema TV ]の[ 千原ジュニアのキングオブディベート ]を観たの。

ちょうど教育に関しての題材で討論してた。







元教師やら、保護者やら、元引き篭もりやら、身体障害者やら、政治経験者やらと…あらゆるジャンルに属した人達が討論していた。

体罰やら校則やらと題材を出してはアレやコレやと話し合っていた。

いつの時代も全ての生徒達へのニーズを満たすというのは土台無理があると感じだわ。

そもそも教育ベースって国力水準の基になってるから国側としては真の教育という意味においてどれだけ必要事項なのかを知っている側からすればこのような討論自体『なに御門違いなバカな話をしてるんだ?まず教育を受けてからホザケ!ボケがァ!』と考えるだろうし、逆に個人レベルで言えば『俺達のニーズを満たせ!クソが!』となるワケだ。

どの時代にもこの手の問題は後を絶たないのは時代時代の環境下での情報が溢れているからだと感じる。

そりゃ江戸時代なら皆、納得ずくで教育が物珍しく人間の本能機能として知識欲が圧倒的に顕在しているからドンドン吸収して逝くだろう。

だが昭和中期以降、情報が増えて逝く傾向に選択肢が莫大に増えてしまうと個人レベルで『あれ?…これ以外でも生きて逝けるんじゃね?』と本能レベルと言い訳が混在する事を正当化してしまう不具合が蔓延してしまう結果になる。

その総合結果を判断するのは人生の後半戦に実感する事になるワケだ。

面白い事にその総合判断に至ると自己都合で前半戦の問題点ですら後半戦で無駄知恵の境地として本音すら捻じ曲げてしまうのが人間の浅はかさだろうな。

そんな事を番組を見て感じたよ。
昔ならば俺もこの輪の中で自己意見こそが正誤判断と基準を設けて吼えているだろう。

だが今となっては正直言えば[ 自己責任でよろすく。]という結論に至る。

だからこの手の討論会において遠距離傍観で感情を持たずの…
( ゚д゚)ポカーン…で眺めるだけでござるよ。

俺は今までの経験上からの価値観となるが十分な環境下においてもソレを活かせない人も大多数存在するのも事実。

逆にその環境を十分活かせる人も事実存在する。
この結果からパレートという観点が結果論になるのだろうな。

俺が人生の半分いんぐりもんぐり修羅場や泥沼を掻い潜って出た結論はやっぱり[ 受け身な人生ほど文句や愚痴そして不平不満を言う傾向が格段に強い ]という事。

だから実力が付かず生きる上で依存性がスキルとして付いてしまうのだと腹で思い知っている。

その意味で学校とは何の目的で逝くのだろうか?
そこに焦点を充てると全ての問題が途端にシンプルになると考えられる。

今回の番組の扱う内容が地上波クラスに大暴落したかもしらんな。

モンスターも1匹まぎれていたしな。(#゚д゚) 、ペッ
基本モンスターは世界観が狭過ぎる傾向が強い。
リスクを極端に嫌い、失敗が死と同義語レベルな捉え方だから自己意見がヒステリックになる。

俺は基本この手の人間とは距離を取る。
話すだけ無駄だからな。

メンヘラはメンヘラで生きて頂きたい。
俺の関わらないトコでな。(#゚д゚) 、ペッ

世間で成功を治めている人は不思議と自己責任をシッカリ治め、人生構築に手を抜かず失敗と挫折が極端に一定量を超えている人が本当に多い。そして併せて人間的にも円熟・成熟している場合が多いんだよ。

以下の良書はコレに関して沢山触れられているので参考にすると非常に有益になるだろう。価値観は本当に大事ですだよ。
(´・ω・`)つ  

そんな人は人生自体がゲーム感覚になってる。
挑戦と遊びが同義語になるのが理想でござるな。
俺もそう在りたいものじゃわいな。

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